ー娘と私ー 今のRIEが出来上がったきっかけ

私が小さい時、母はものすごく自己犠牲で生きていました。

原因不明の病気にたくさんなっていつもしんどそうだったし辛そうな顔を

私に見せないようにしていたけど、子供ながらに気づいていた。

お母さん、笑って?

お母さん、しんどくない?

お母さんが辛い身体で気持ちを押し込んでいる姿が私はとても辛かった。

いつもいつも気にしていた。

私はお母さんが笑ってくれたらとても幸せな気持ちだった!

お母さんが元気で笑っていてくれる時が何より嬉しかった。

私のことよりお母さんがしんどくなくて笑顔でいれる事の方が大事だった

私のために自分を犠牲にしないで。と言ったことを今でも覚えている。

だから私は、娘がお腹に来てくれたと分かった時

この子と一緒にたくさん笑って、たくさんいろんな景色を見せてあげたい!

私自身が楽しんで生きて笑顔で入れるようにしよう!

片親だからってそれ以上辛い寂しい思いをさせないためにも絶対に必要だと思っていた。

だけど、出産してからの日々の生活では、お金がどんどん減っていくとてつもない不安と焦りに追われていつの間にかそんな事を考えられなくなっていた。

先日無事に3歳を迎えた娘と過ごしながら

私の深い部分を知ってもらおう、

今の気持ちの根源になる部分を頑張るお母さん達に

今、知ってもらわないといけない!

いつの間にか感じた思いや決意した気持ちを忘れてしまっても、何度だって思い出してもらわないといけない。

長文になります。自分自身にも、頑張るお母さん達にこそ読んでいただきたいと思っています。

最後まで読んでいただけると幸いです。

私の経験や感じた事を知り、今の自分の在り方や過ごし方を考える時間にしてもらえたら嬉しいです。

妊娠は出来ないと思っていた私のもとに来てくれた奇跡の娘

妊娠はもう出来ないと思っていた私が奇跡的に授かれた娘は、コロナ禍真っ只中に生まれ、真紫な身体の色の姿が見えたきり、抱っこも出来ないまま低酸素欠症で集中治療室に運ばれ、生まれて初めて対面出来たのが12時間後だった。

むくむくに浮腫んだ大きな身体にぐるぐる巻かれた包帯や沢山の管に繋がれて、私が想像していたお猿さんのような赤ちゃんでは無かった。

そこから抱っこさせてもらえたのは1日半後で

出産後からしたら約3日目にやっと!やっと!我が子を抱っこする事が出来た。

正直、全然実感が湧かなかった。

だけど心があったかくて、とても満たされた気持ちになれたのを覚えているし、

涙が溢れた。

抱っこ出来るまでに良くなってきている事が心から嬉しかったし安心した。

小さい身体に沢山の管を繋がれている姿は毎回胸がぎゅーっとなるくらい悲しくなったけど

面会時間が待ち遠しくてソワソワ時計ばかり見て過ごし、限られた時間いっぱいに会いに行き、いっぱい話しかけて、抱っこしたりツンツンしたり、歌ってあげたりしていた。

順調に良くなり、やっと退院ができ、娘との生活がスタート!すくすく元気に育ってくれた娘。

5ヶ月目の時に腎盂炎を発症し即入院。

そのおかげで、膀胱からおしっこが逆流し腎臓を痛め続けている病気が発見できた。

この辺りから入退院を繰り返すようになった。

見かけは物凄く元気だし、良く食べ良く遊び良く笑う娘。

ただ、夜になると夜泣きではなく

遊び出して寝ない日が続いていた。

産後すぐに働き出すつもりだったが入退院を繰り返す娘を抱えつつ短時間でも誰かに見てもらう事も考えたが、持病のある娘を預けるなどはやはり不安で出来ない。

働きにいけないから収入が無い・・・

少しあった貯金もどんどん無くなっていく、これからどうしよう・・・娘の命を育てていく事の責任に不安と恐怖が日に日に大きくなっていっていた。

当時、妊娠が分かる前に父の闘病生活があり仕事は一旦お休みさせてもらっていた。

出張で数人のお身体を任せて頂いていたけど妊娠を機に完全に育休となり、

身体に触れる事から離れていた時間がとても長くなり、復活するには再度勉強が必要だった。

シングルマザーやからって絶対苦労はさせないっ!と妊娠がわかった時に思っていた私は

とにかくオムツ代を稼がねば!と、家でも出来る仕事を考えていた。

これからのためにまず苦手すぎるパソコンが出来るようにならないとあかんか🤔と、

ママ向けのオンラインパソコン教室に申し込んでみたり、

トレーナー時代のお客様が離れてしまった今、

仕事を始めるためには何をする?家でも出来る仕事は・・・?

SNSめっちゃ苦手やけど、集客とかどうしたらいいんやろ🤔?と藁にもすがる思いで、知人が始めたコンサルに申し込んでみた。

だけど・・・全て途中で投げ出した。

収入も無いのに、結構な大金を投資したにも関わらず娘に辛い思いさせたくない!の一心で、とにかく何か始めて収入を得ないといけないと思って申し込んだけど・・・

何をしたら良いかさっぱり理解できなかったし、集中できなくて考えられないから、課題に向き合うことさえも苦痛になってしまっていた。

それでもなんとかいただいた単発のお仕事は行きつつ過ごしていた

ブランド物もたくさん売った

母にたくさん助けてもらってもいたし、知人からもお金を借りていた

相変わらず夜になると無邪気に遊び出す娘

お昼寝したタイミングに少しでも寝ないとあかん!と思っても、寝れなかった,

ただただ焦り続けて、毎日頭が破裂しそうなぐらい圧迫されてる感じがあった

とにかく物事が考えられなくなっていた

集中力もないし、すぐに忘れてしまう。

元々忘れっぽいし、集中力もない。

それが私でもあるから深く考えて無かった。

いや、今思うと考えられなかった。

頭がずっとザワザワして、常に焦ってた。

何重もの壁が脳に立っていて、思考の部分をぐるぐる覆っていた感覚。

まともに寝れない日々が続き、半年以上経っていた

今思えば、この頃から病気を発症していたと思う。

自分自身の病気の発覚

身体が安定してきた娘を保育園に預けられるようになり、少しずつバイトに行き始めた

新園児の洗礼でしょっちゅうお迎えの電話が鳴り、家とバイト先と保育園と病院が毎月のルーティンになっていた

バイト中、尋常じゃないくらい身体が熱くなって汗が吹き出し恥ずかしかった

疲れやすい事、体力がやたら落ちてる事

痩せてきた事に関しては喜んでいたし、

全てが『産後の身体の変化』と思っていた

よく手足が震えた

娘にご飯を食べさせる手が毎日ギャグみたいに震えていたし、足は踏ん張ろうとしたらガタガタ震えていた

毎日重だるい身体で、そりゃあ妊婦さんの骨格を経て筋力が落ちたし体力も落ちて疲れやすいし

『産後ママってこんなに大変な思いしてるんやな〜』って思っていた

そのあたりに今の私の基盤となる技術に出会った。夢中で練習した。

日中は今までのルーティン+たまにモニターさんへ施術させてもらい、夜は毎日母の頭を借りて練習した。

とにかく毎日毎日頭に触れた。

私は不器用だから身体に覚えさせるしかないって分かっていたから。

正解も不正解もない、とにかく毎日練習して一心不乱に感覚を掴みたかった。

保育園で沢山遊んで夜も少しずつ寝る時間が増えてきた娘

日々のルーティン+娘の検査入院や、手術も乗り越えつつ出会えた技術をメインに仕事をしていきたいと思い活動していた頃

顔のむくみと目の下のたるみが日に日に気になっていった、化粧してもなんだか表情もおかしい・・・

手や足の震えは相変わらず続いていた。産後の変化での低血糖だと思っていた。

古い借家で過ごす冬は極寒で寒いのに、家ではTシャツで過ごせるぐらい体温が高くなっていた。

身体の重だるさも当たり前になっていたから何の違和感もなかった

出産したら体質変わって、体温も高くなるねんな〜😀って母とも笑って話してた。

だんだんと自分の目が飛び出てきて、形相が変わってきていた。

そのうち瞼が引き攣り出して、いつも目を見開いているようになった。

母から、なんか目つき悪くなってきたから眼科行っておいで、と勧められ受診

『緑内障』の可能性があります。と、診断された。

(緑内障とは、視神経という器官に障害が起こり、見える範囲が狭くなり酷くなると失明にもなるもの。)

---

え?

失明?

目、見えなくなるん?

待って、娘には私しか親いないのに?

どうしよう。

---

その日はどうやって過ごしたのか覚えていないぐらい頭が真っ白になった。

夜になって娘を寝かしつける時

『起きてユラユラして』って毎日のようにお願いする娘を抱っこしながら

薄暗い部屋で涙が止まらなかった

ユラユラされて心地良さそうに抱っこされ、安心しきった娘の顔が涙で滲んで見えなくなった

起こしてしまうから嗚咽を我慢して抱っこする手と肩がガタガタ揺れてしまう

涙がぼたぼた落ちて娘のパジャマが沢山濡れてしまっていた

娘が見えなくなってしまうの?

娘のこの可愛い顔が見えなくなってしまうの?

これから娘が笑う顔も、楽しそうな顔も

悲しい顔も、泣き顔も喜ぶ顔も

見れなくなってしまうの?

大きくなっていくにつれて

娘が悩んだ時、辛い時、寂しい時

顔を見て、安心させてあげられないの?

可愛い服着て、何色が似合うとか

発表会とか運動会で頑張る姿とか

見れなくなるん?

卒業式とかウエディング姿とか

見れなくなるん・・・

って声にならない声で沢山泣いた。

絶望でしかなった。

片親でまともに稼いてもいなくて

しかも目が見えなくなったら。。

これからほんまにどうしよう。。

絶望と希望

私の勝手で、片親しかいない環境で寂しい思いさせているのに

さらに、娘に寂しさと辛さを・・・?

恐怖でしかなくて

息が出来なくなって・・・

気づいたら

気絶するように眠っていた・・

そこから毎日寝かしつけのたびに

涙で娘の顔が見えなくなっていた

娘のパジャマを沢山濡らした

紹介状を書いてもらった大きな病院を受診し

結果、バセドウ病を発症していた私は

機能甲状腺眼症という病気を併発していた事が分かった

目の周りの筋肉が炎症を起こし眼球が押し出され

眼圧が上がり神経が圧迫されている状態だった。

---

その後運よく新薬の治験に1年間参加することが叶い

見かけには症状が落ち着いていった。

ただ緑内障のような神経の圧迫はあるようで将来的に見えなくなっていく可能性があると言われている。

永遠なんて時間は、ない。

病気じゃなくても、いつ目が見えなくなるか、声が出なくなるかも分からない。

いつ事故にあってケガしてしまうかもわからない。

人間はいつ死ぬかなんてわからない。

私には時間がない。

可能な限り娘と色んな事を楽しみ、色んな場所へ行き、色んなものを見て、色んな事を感じたい。

娘の色んな表情を見たいし

お互いが見て感じた事を言い合って話したい

一緒にたくさん笑っていたい。

その為には、お金と時間の確保が必要だという事を身に染みて思った

だから私は今のままではいけない!時間を生み出していくために、働き方の見直しが必要だと切実に感じた

時間に追われて娘との時間が少なくなり

買いたい物も買ってやれない

一緒に過ごす時間がなければ

私は何のために仕事をするのか?

この世で最愛の娘を見れなくなると知った時、私は時間とお金を本気で確保していかないといけない!と心に誓った

命はいつ尽きるかわからない。

けれども

今日、明日、明後日、、、

”時間とお金は自分でコントロールできる”

これが私がバセドウ病を発症してから

最大の気づき。

明日は我が身。

この社会では頑張るママが多い。

自己犠牲にも近いぐらい、耐えて頑張るママが多い。

ママの頑張りを子供は望んでいるのだろうか。

ママが我慢して辛い思いをして頑張ることを、子供は本当に望んでいるのだろうか?

子供が本当に望むことは

”お母さんと笑顔で過ごす時間と経験”なのではと感じます。

ただやみくもに頑張るのではなく、

”子供との時間と経験”

ここにフォーカスしてから一気に

人生の流れが変わった。

「娘との時間を誰よりも濃くする」

と、覚悟を決めたから。

私の発信が少しでも届いてくれたら嬉しい。

一歩じゃなくて半歩でも良い、

何か変わるために少しでも動き出せるきっかけになれば本当に嬉しい。

もしこれを読んで、良かったと思ってくださったらシェアしてください。

今、自分の生き方とか最愛の子供、大事な人との過ごし方を悩んでいる方や病気で悩まれていたり時間に追われて子供と笑い合う時間が少なくなってしまっていたら、ここを読んで頂いた事で少しでも変えられるきっかけに、

背中を少しだけでも押せる物になると嬉しいです。

今まで苦手だった本音の自己開示をしたのは、これは私だけの話しではないから。

頑張りすぎるママ達に少しでも感じてもらえるものがあればいいなと心から願っています。

最後に

「お金と時間を手にいれる覚悟。」

その為にこんな事してるよ!などあれば是非コメントください。

私にとっても、この文章を読んでくださる方にとっても

今後の一歩に繋がるはずです!

最後までお読みいただきありがとうございました!